井上俊夫氏「初めて人を殺す」読了

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本書は、H氏賞受賞の詩人、井上俊夫氏が、ご自分の中国における従軍体験を基に、大東
亜戦争について語ったことどもを再編集して、今年の一月に、岩波書店より現代文庫の一冊
として上木された本です。
「初めて人を殺す」などというカゲキな、ショッキングなタイトルですが、小生察するに、このネーミングについては、井上先生はあまり乗り気じゃなかったのではないかという気がします。
編集部の強い意向が働いたのでは?
何故なら、本書から窺える井上先生のお人柄からは、このネーミングはかなりの距離がある
ように思えるからです。

本書は九篇から成っていますが、全篇の通低音は、「戦争は好ましくない」「天皇制は支持
出来ない」だと思います。それを声高に叫ぶのではなく、上手に、優しく表現されているのは
流石、第一流の詩人であり、甲羅を経た著者のハイテクだろうと推察するのです。
人なつこい大阪弁を、うまく使われているのも効果的です。☆
      ☆ 「日中戦争で戦死した大阪生まれの英霊の声」
      ☆ 「老兵『バリアフリー2004』へ行く」
      ☆ 『初めて人を殺す』

ただ、時に、低音が中高音になることがあり、
      ★ 『銃声が聞こえる』
      ★ 『戦友よ、黄金の骨壺の中で泣け』

この二つの詩を朗読したことで、会場に紛れ込んだ右翼の連中に襲われそうになる顛末は
「大阪・中之島・中央公会堂脱出記」となって発表されています。
この脱出にあたって、数名の中国人留学生の護衛を受けたことはなんとも皮肉なものです。
ただ、『銃声』で井上先生が警告されたことが、本島・長崎市長狙撃事件となって現れたこと
は、実に恐ろしいことだと言わねばなりません。

「銭池村墓地にて」に堺市の金岡陸軍病院で云々というくだりがあります。個人的なことで
恐縮ですが、実は、小生の親父が終戦時、やはりこの病院で療養していたという事実があっ
て印象に残ります。親父は、この頃、准尉で、当番兵に腸チフスをうつされて、ここに居た訳
ですが、野砲兵第四連隊での仲間の多くは、親父が入院中に、南方に送られて戦死された
と聞き、洵に感無量でありました。

タイトルにもなっている「初めて人を殺す」は九篇中、最も長いもので、入隊して、初年兵教育
を受ける様子が詳しく描かれています。
卑俗な例を持ち出して恐縮ですが、映画「二等兵物語」(アチャコ、バンジュン)や「兵隊やく
ざ」(勝新、田村高広)を想起させられました。また、親父から聞いた体験談とも全く同じで、ど
こでも同じようなことをやっていたことが分かります。
私的制裁(リンチ)が強い兵隊を作る、などという悪しき伝統は誰が作ったのでしょうね。
愚かしいことです。
初年兵教育の仕上げは、中国人捕虜の処刑です。
著者は「俺が男らしい男になるための試練に違いない」と自分を納得させて、処刑に強制的
に参加させられるのですが、何人かがやった後で、順番が回って来て「無我夢中で銃剣を
突き立てた私には、なにか豆腐のようなやわらかい物を突いたという感触しか残らなかった」
と書いてるように、実際に体験した人にしか出来ない表現で、小生にはショックでした。
井上先生の手には、未だこの時の感触が、数十年後の今も残っていて、多分、随分と辛い
思いで書かれたことでしょう。これを公開された先生の勇気に小生は満腔の敬意を表したい
と思います。

「八王子の麗しき森の住人に捧げる歌」の主題は、勿論、強烈な天皇制批判ですが、アイロ
ニカルに、上手~く表現されています。
本筋とは関係ないんですが、文中とても心惹かれる文章に出会いました。
昭和天皇武蔵野陵の森の中で、森林浴に関して;
「樹木の群れに衝突しては、あたり一面に散乱する光線を全身に受け、樹木の壁で濾過され
ることにより一層旨みを増した空気を思う存分吸い込んでいると、私の身体や心に爽やかな
力がわきあがってくるのです」   とても素敵な描写だと思います。

「あとがきに代えて」は、いわば本書の総括なんでしょうが、300冊以上、戦争関係の本を読
了して来た小生が初めて目にする記述がありました。
それは「戦争には「悲惨と愉楽」の二面性があったのだ。私たちは、この戦争の魅惑的な面も
若者たちにぶつけねばならないのだ。」という部分です。
これにも小生は大きな衝撃を受けました。こんなことを言った人は井上先生以外には居ない
のではないでしょうか?
実際に戦争を体験し、戦後もずっと知性と感性を鍛えて来られた詩人にして初めて出せる
意見ではないでしょうか? すごい見識だと思います。
諸士の、ご一読を願うものであります。                         以上


尚、本書は、我がブロ友 taizannさん(ブログ名 私のエッセー)から、ご提供を受けました。
有難う存じます。
taizannさんは、井上先生の門下として研鑽を積まれ、心に沁みるような、佳いエッセーを
書いておられます。是非、訪問されるよう、お薦めいたします。 
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by tsc-edotyuu | 2005-05-09 23:16 | 乱読
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